社長のつぶやき

このコーナーでは、木材業界や住宅業界について様々な記事等を通し、この業界に生きていて常日頃思うこと、特に当社の姿勢や業界の先行き、当社の社員や協力業者に要求する心構え等、 私個人として憤りを感じたり、共鳴を覚えたりするような仕事の姿勢や内容、雑誌・新聞等の記事の引用・紹介や、つぶやきたくなるようなことを本音で書きつづってみたいと思います。

引用記事、内容等について、ご意見、お叱り等ございましたら下記までお寄せ下さい。 早急に謝罪・削除等の手段を執らせていただきます。
是非とも良い家作りのため、一般の人々の目に留めていただきたい、素晴らしい内容との判断からご紹介させていただきたく、何卒ご容赦下さいますようお願い申し上げます。

Vol1.法隆寺と木造住宅

法隆寺は木造で千三百年の歴史がある。だから木造住宅は長持ちするというのだという。

確かに法隆寺が木造なのは事実だし、千三百年持っているのも事実だが、「だから木造住宅は丈夫で長持ちなのだ」なんて言われると、首を傾げてしまう。なにか違う。

確かに木材と鉄とコンクリートを室内に陳列しておいた場合、千年たっても形が残っているのは木材だけだろう。鉄はさびてボロボロになってしまうし、コンクリートは風化して砂のようになるだろう。木材は表面はボソボソになっているかもしれないが、桧やひばの赤身なら、削れば新材のように香りを放つに違いない。

しかし、それには条件がある。腐りにくい環境におくことだ。もし土の中に埋めれば、鉄やコンクリートよりも先に朽ち果ててしまうだろう。湿度の多いところにおいても同様だ。

法隆寺は風雨にさらされていても千年以上もっているではないかと言う人もいるとは思うが、それはむしろ逆で、風雨にさらされているから長く持っているのだ。

そもそも、神社仏閣には人は住んでいないからすきま風が入ろうとお構いなし。住居だったら住んでいる人は寒いと文句を言うだろうが、神様や仏様は一言も愚痴を言わない。

それに、住居であれば中で炊事はするわ、風呂は沸かすわで水蒸気が出る。人の体からも多量の水分が出るが仏像は汗もかかないし風呂にも入らない。もし、法隆寺が「高気密高断熱寺院」で、しかも大勢の僧侶達がその中で生活していたら、千三百年どころか、百三十年ももたないだろう。

人間が住む限り室内に湿気は出る。高気密高断熱にして機械換気などで通気を図っても、コンセントやスイッチの穴や照明器具の取り付け部分、水道の配管箇所から壁内に進入した湿気はなかなか追い出せない。室内の湿気を壁の中に入れないなんて言うのは机上の理論で、従来の断熱手法では現実には難しい。

木材は湿気を吸ったり吐いたりして湿度を調整してくれるすばらしい素材であると言うのは正しい。しかし、そのためには吸った湿気を吐き出しやすい状況を作ってやらねばならない。吸った水分がなかなか乾かなければ、木材は腐って当然である。

材木屋なら野天に積んだ木材は雨に当たればすぐにビショビショになるが、それを乾かすのにはサン積みして通風を良くするなど、工夫や努力が必要だということは身にしみて知っている。しかし、その実際の知識や経験を知らず、まったく家作りに活かされていないところが多すぎる。なぜだろう?

木材は樹種によって、また産地によって性質は全く異なるし、白太と赤身でも違う。木材の良さを十二分に活かすには使い方がある。それを一番良く知っているのは木材のプロ、材木屋であるべきだ。

正直言って、現在の大多数の木造住宅は木材の使い方、樹種の選び方が無茶苦茶である。それを放置して法隆寺が千三百年持っているから木造住宅は長持ちするなんて言うのはとんでもない話だ。法隆寺を引き合いに出すのなら、木を見る眼を養い、材料を選ばなければならない。それが出来ないのなら、二度と法隆寺を引き合いに出して商売をするべきではない。

一般の木造住宅を建てるときに、神社仏閣ほどの配慮はないにしても、現在の住宅を見るにつけ、デザインや住宅設備機器には金をかけ、選ぶにも十分な時間を費やしているのに、最も大切なはずの構造材には金をかけず、安い方がよい、売る側も儲かればよいというような現状を情けなく思い、憤りを感じているのである。

私は、消費者や施工者に対して木材を選ぶことの大切さを訴え続けている。心の中で「構造材にこんな材料を使ったら二十年持つかなあ?・・」なんて思いながら商売している輩が法隆寺でも無かろうと思うのである。

なんにせよ、「木材は素晴らしい、木造住宅は長持ちする」と言うためには、素晴らしい木材、長持ちする材料を売らねばならない、使わなければならないということである。そして、その施工方法にまで口を出せるだけの知識を持っていなければならないのである。材木屋も大工もメーカーも手間を惜しんではならないし、もっと勉強する必要があると思う。

国産材の桧や杉は日本の気候風土にあっていて、外材でそれに匹敵するような性能を持ち、供給力があるのは米ヒバと米松くらいのものだろう。日本で薬品処理に頼らず五十年持つ家を建てるには、構造材は国産材を中心に使う必要がある。

消費者の利益を第一に考えた場合、「安い」ということだけではなく、何年持つかが大切である。紳士服の安売り店も、どんなに安くても二三度クリーニングに出すとよれよれになってしまう物は売れなくなった。

住宅の場合、「やっぱりダメだった」とわかるのに二十年近くかかるだろうが、絶対に品質を犠牲にしてはいけない。安かろう悪かろうの木造住宅の片棒を担いでいては未来はない。私は、法隆寺を引き合いに語れる材木屋で在りたいのです。


Vol2.みすぼらしい農家と豪華な現代の家

高松へ行ったとき、名物の讃岐うどんを食べ、四国村という観光地をゆっくり見学することが出来た。地元でも有名なうどん屋は二百三十年前の旧家を改装した建物である。

小屋梁は地松のタイコ梁で、伝統工法そのものの作りである。新たに建てようと思っても、これだけの材料を集めるのは難しいだろうし、腕の良い大工や職人を探すのも大変であろう。食後に訪れた四国村は四国各地に残っていた古い民家を集め修復したもので、初めてみる面白い建築物に興味は尽きない。

しかし、何より驚いたのは、決して庄屋や武家の屋敷ではなく、ごく普通の貧しい小作の農家が、修復したとはいえ二百年以上の歳月を経て、今なお建っているという事実である。 材料も近くの山から切り出したのであろう材で、特に良い物を使っているわけではない。大工だって腕がよいわけではなく、仕口や継手も単純である。

もしかすると専門の大工ではなく、村人が総出で建てた物かもしれない。それでも風雪に耐え、二百年の時を超えて今、目の前に建っている。

思わず頭を下げ拝みたい気持ちになってくる。今まで、材料を選び、建て方に十分配慮すれば木造住宅は長持ちすると信じてきた。

しかし、目の前の建物は失礼ながら粗末で建て方も雑である。今まで自分が信じていたことは間違っていたのだろうか・・・?何でこんな家がこれほど長持ちするのだろうと床下をのぞき、材料をコンコンと叩いてみる。結論は、地元の材を使い、すきま風がビュービュー入る構造だからということに尽きる。

結局、良い材料とか、職人芸的な施工技術以前の問題として、木材を風に当て腐りにくい状況を作ることが丈夫で長持ちする家の大前提なのである。これなら今まで自分が信じてきたことに矛盾しない。

今の世の中で、家を建てるとき昔同様のすきま風ビュービューの家では欠陥住宅になってしまうが、気密性や断熱性を高めようと思ったら、断熱材を何ミリにするとか、複層ガラスを使うとかの前に、躯体の構造、断熱方法に留意しなくてはならない。

やはり、プレハブや2×4より日本には在来工法だという思いを胸に四国村を後にした。その後しばらくして、ホワイトウッドの集成管柱に既に腐った例が出ていることを耳にした。なんということだろう、集成管柱が本格的に流通を始めてから、わずか7~8年である。いかに腐りやすい樹種とはいえ、そんなに早く問題が出るとは信じられない思いである。

もちろん、全ての建物に問題が生じたわけではなく、たまたま立地条件や住み方に問題があったのかもしれないが、それにしてもショックである。スプルースなどのホワイトウッドだって、壁の中を空気が流通する在来工法ならば十五年くらいは十分持つと思っていた。

それが半分の寿命というならば、樹種の選定以前の問題として、今の在来工法の構造、そのものに問題があるとしか思えない。

断熱性、気密性を重視するあまり壁の中の空気の流通を遮断し、壁内に入り込んだ湿気を追い出すことの出来ない建て方では絶対に家は長持ちしない。杉や桧なら良い、ホワイトウッドではダメということで解決する問題ではない。

一見みすぼらしい昔の農家より、一見豪華な現代の住宅の方が劣っている点が間違いなく存在するのである。木材に不信感をもたれないためには謙虚に反省し、現在の木造住宅の建て方を根本的に考え直す必要があると思う。


Vol3.住宅の家族に与える影響力

ずいぶん長い間住宅資材や木材に携わって生きてきました。

しかし、近年ほど、住宅がそこに生活する家族の方々に与える影響力を身にしみて感じることはありません。
従来の住宅は雨露をしのぎ、外敵や自然の驚異から身を守れさえすれば事足りた単なる建物としての役割しか担っておらず、シェルターとしての役割を果たしさえすれば住宅の機能の大半を果たしていたのかもしれません。

しかし、今日の住宅は単なる建物の役割を超えて、いろいろの影響力をそこに生活する家族に与える環境になっている。それによって引き起こされる弊害が近年顕著になっているように思えてならない。

まず第一に住宅の計画のされ方によって引き起こされる身体の病気の問題です。最近、新築されたり増築された建物に入ると、それまで経験しなかったアトピーや化学物質過敏症によるめまいや吐き気がおこるという人たちが増えている。住宅が高気密化されるようになり、新築のために使われた合板やビニールクロスの接着剤や塗料などの化学物質が、生活するための温度の上昇と共に揮発し、室内や住宅内の空気を汚染し、それが生活者に影響を与えるシックハウス症候群と呼ばれる病気を生み出した。

それはまだ症状が出るために自覚されるが、気密住宅として密閉された上に、きちんとした通気、通風のとられていない住宅、つまり吸気と排気の換気計画のなされていない住宅では、知らず知らずのうちに酸素不足によるガン、脳卒中、心臓病などにおかされていることがあります。

高気密、高断熱住宅は省エネ住宅として最も流行の住宅計画ですが、住宅に使われる素材や換気計画をきちんとした上でプランニングされないと、快適と思われた住宅が、実は家族の健康をむしばんでいるということになってしまう。

また、事前に住宅計画がきちんとなされず、せっかく半生をかけた大金を投じた住宅が、入居と同時に計画の不備による不満が続出し、またローンの返済計画に無理があったりで、ストレスがたまり、それが原因で病気になるということも最近よく耳にする。

そのうえ住宅ローンが払えず自己破産される方も後を絶たない。それらは皆、事前のプランニングがきちんとなされていないことから起こる悲劇だ。一生一代の大事業である住宅建築は業者任せにせず、家族でしっかり話し合い、住宅知識を十分積んだ上でプランニングを繰り返し、後悔しないものにしなければならない。

また最近顕著に現れている問題に家を新築し、部屋にゆとりが出来たために家族の団らんが無くなり、夫婦が不仲になったり、子供達とのつながりが希薄になり、子供達の気持ちが分からなくなるということがある。

家が新築され、家族の各々が個室を持ち、その個室があまりにも自分の城として居心地が良いために、また何でも揃いすぎているために、個室にこもりきりになり、親子の会話や団らんが無くなり、「うちの子が何を考えているのかわからない」という状況が生まれ、最近の事件のように、事が起こって初めて、「まさかうちの子が」という状況を生んでいるようだ。

少子化が進み、子供達の要望を受け入れすぎ、お客様扱いしすぎた反動が今の社会をつくっている。

私は子供部屋はせいぜい寝るだけのスペースと考え、小さいときは出来るだけ、勉強にしても居間やキッチンで親の顔の見えるところで行い、家族は常に一カ所に集まりながら、皆が勝手に好きなことが出来るスペースづくりを提案したい。

もう一度しっかりした反省の元に、住宅が与える環境としての重大さを認識し、住宅計画を見直す必要性を感じる。


Vol4.釘と金槌

「釘と金槌」であって、「金槌と釘」ではない。「タバコと灰皿」であって、「灰皿とタバコ」ではない。
なぜか? 大切なのは釘であって、金槌は釘を打つための道具にすぎない。金槌がなくても、石で釘を打つことは出来るが、釘がなければ金槌だけあっても釘は打てない。灰皿がなくてもタバコは吸えるが、灰皿だけあっても仕方がない。灰皿を小物入れの皿に使ったら、それはもはや灰皿ではない。主役は釘であり、タバコである。金槌や灰皿はあくまで脇役なのである。

何が言いたいのかというと、今の世の中、主役と脇役の区別が乱れてしまっていること、主役が虐げられ、脇役が幅をきかせていることへの不満なのである。「なんで主人が風呂掃除をしなくてはならんのだ!」と、この場を借りて家庭の不満をぶつけようと言うのではない。「俺は主人だ」といっても「私は主婦よ」と言われておしまいである・・・。

そんなことはどうでもいいのだけれど、問題は木造住宅なのである。木造住宅と言うからには、「木で造られた住宅」であり、木が主役でなくてはいけない。そうでなくては、木造で良い家が出来るはずがない。

しかし、現実には昨今の家は主役である木は脇役の設備機器などに主役の座を奪われ、壁の中に隠れて小さくなっている。姿が見えないから、余計に存在感が無くなり、脇役どころかどうでもいい存在に成り下がってしまった。

木でさえあれば良い、構造材に木さえ使えば木造住宅だ、という考え方の末路が今日の木材離れである。木の本当の価値、使い方を知らず、安ければ良いという考えが、一見、木材に見える新建材を生み、とどのつまりが「どうせ壁の中で見えないのだから」とスチールハウスにまで行き着く。

木を主役の座から引きずり下ろした犯人は消費者ではない。自ら木の本来の価値から目を背け、木を選ぶ大切さを放棄した材木屋である。FAXで送られてきた手板1枚で右から左へ商売するイージーさに首までドップリと浸かってしまった問屋であり、大工の言うがままに資材を集め、配達するのが仕事になってしまった小売屋である。

自嘲の意味も含め手厳しい言い方をするが、恐らく木材業者がこのような姿勢でいる限り、いくら木材需要の拡大を叫んだところで、大工や工務店の耳にも、ましてや消費者の耳にも届かないに違いない。木材PRの必要性を心底感じ、動き回れば動き回るほど、空しくなってしまう。

消費者や設計者と話をすると、彼らがあまりにも木材のことを知らないのに驚かされる。誰も教えてくれなかったのだから、知らなくても当然である。

自然回帰や健康ブームのおかげで、せっかく木を使おうと考える施主や設計士が現れても、大工が「木を使うと高くなりますよ」と言って新建材を薦める。それを知っても材木屋は「何で木を使わないんだ!」と怒らない。ニコニコと笑って新建材を納める。

しゃしゃり出ていって施主に「材木が高いんじゃない。大工の手間が高いんだ!」などと言ったら、大工は二度と買ってくれなくなるから仕方ないが、一体いつになったら木材需要の拡大が出来るのだろうか・・・。

今まで木材業界は裏方に回り、「大工・工務店支援」などと言って間接的に動いてきた。私も以前は大工や工務店を支援する事で木材需要の拡大をと考えていたが、最近はその方法では無理だと感じている。

本気で木を主役の座に返り咲かせようとするならば、大工や工務店の尻を押すのではなく、材木屋が前に回って直接施主や設計士と話をし、材料を決め、大工や工務店を引っ張ることを考えなくてはいけない。

当社建築部門の「桶市ハウジング」はそのような背景から設立に至ったのです。

大工・工務店には脇役になってもらい、材木屋が主役にならない限り、木も永遠に主役の座を回復することは出来ない。木材業者は、金の金槌より、ステンレスの釘にならなくてはいけないのである。


Vol5.家づくりは幸せな家族づくり

先日、こんな記事を見かけました。
1年前に「化学物質を出さない材料を使ってつくります」という建築業者の言葉を信じて新築。引っ越してまもなくして吐き気が出たり、頭痛がして眠れなかったという。
本人も子供も北里大学の宮田先生からは化学物質過敏症と診断され、現在は実家に帰っているが外にも出られない状態。新築した家はどんなに改修しても他の化学物質に反応するようになったため、その家を売って、化学物質の全く出ない家を造るしかない、というものだった。

最近、このような被害が多くなっていることを耳にするようになってきたが、その責任は、建築業者やハウスメーカーにのみあるのではなく、住まいについて正しく学ぶ機会を与えてくれない行政の責任、自動車を購入するように気軽に住宅について考え、引き渡し後の居住性能や健康性・耐久性よりも初期価格や付録・サービス・見てくれデザインを中心に住宅を決める建築主自身にもあるのではないでしょうか。

知名度や宣伝・営業力等に負けて購入、または発注した後、新築時の喜びもつかの間、時間の経過と共に「失敗した」と後悔する人が余りにも多いような気がします。

これからの住まいづくりは、前述のようにならないように、失敗は許されません。

住宅の初期価格や知名度(営業力・宣伝力)、企業の大小、見てくれなどによって、住宅購入を決めるのではなく、住宅を持つということは、自分にとって、また社会にとってどういう意味と価値があるのか?住宅という環境が、そこに住む人に、精神的にも肉体的にもどんな影響を与えるのかを、自分のためにも、家族のためにも真剣に考え、取り組みたいものです。

「家づくり」とは、「幸せな家族づくり」でもあるのです。子供を生み、子供を一人前に育てて社会に巣立ちさせるための大切な原点でもあるのです。そして家づくりは、街づくり、地球づくりにも関係していきます。

建設省は、建築主が住宅を性能で選べるように、来年度から「住宅品質確保促進法」に基づいて、住宅性能評価制度(任意制度)をスタートさせます。性能を表示する性能項目は
①地震に対する安全性能 ②火災安全性能 ③耐久性能 ④長寿社会対応性能 ⑤省エネルギー性能 ⑥空気環境性能 ⑦音環境性能など、10項目になる予定です。
この制度は任意制度ですが、建築主が必要とすれば工務店もハウスメーカーも競って性能表示の宣伝を始めるでしょう。特にハウスメーカーは10項目の性能数値の高さを競って宣伝してきますが、賢い生活者はその数値に惑わされてはいけません。

なぜなら、住宅の性能は、10項目だけではないということ。

特に、住み心地や健康性、快適性、やすらぎ感、体温のようなぬくもり感は数値では表すことができません。むしろその性能の方が重要であるということです。

建設省が決めた10性能がオール100点満点でも住んだ後に住み心地が悪く、化学物質過敏症にかかるということもありうるということです。

これから住まいを持とうとする方、建て替え、リフォームする方。もう一度、住宅の役割、目的を考えていただき、子孫や地域社会の環境に与える影響がきわめて大きいことを知った上で、工法や材料、設備機器を選び、これらのことに正しく考えてくれる工務店、ビルダーを選ぶことを強くおすすめします。


Vol6.私がつくりたい家

ここに木、鉄、コンクリートの三枚の板が敷いてあります。その上にしばらく寝て、寝心地を比較した後で、家をつくる材料に何がよいだろうか?と考えたなら、大概の人は木を選ぶと思うのです。あなたは自分と家族のためにどれを選びますか?私は迷わず「木」を選びます。その理由はたくさんありますが、1つだけと限定されたなら、「温もり」があるからと答えます。(「いい家が欲しい」三省堂書店 より抜粋)

一昔前の住宅というのは、我が国特有の高温多湿の夏の季節にあわせて、風通しを良く、夏涼しく過ごせるように造っていました。しかし、夏を旨として造っていたので、冬は寒い住宅だったというのが事実です。しかし、その当時の技術では、昔の人の大いなる知恵により、家を丈夫に長持ちするように造るには、風通しを良く、自然の気候を大切にすることが一番良いとされていたのです。それが結果的には冬の住み心地というものを犠牲にしてしまっていたのです。

やがて時代が変わり、技術が向上し、省エネルギー化が進み、今の住宅は冬を暖かく過ごせるように高断熱が主流になり、冬を旨にした家造りが好ましいという考え方に変わりました。

しかし、高断熱化が進むとともに、ただ厚い断熱材を入れれば良いというような造り手により、適切な防湿工事がされずに壁内結露の問題が発生し、省エネルギーどころか、結果的に住宅の寿命を縮めてしまうといった事件が多発したのです。断熱と結露の問題が浮き彫りにされ、適切な防湿工事、または、断熱と気密の関係、換気の大切さというものを思い知らされることとなったのです。苦々しく思うのは、現在でも断熱と結露の知識を良く知らず「まだ表沙汰にならないが」いわゆる欠陥住宅が造られているという事実です。

従来の冬暖かく夏涼しいという単なる高断熱・高気密住宅の実態は、冬は魔法瓶のように外気と閉ざされた気密性が功を奏し、確かに暖かいのですが、夏はクーラーの利きこそ良く、省エネに貢献しているといえますが、その反面、立地条件やプランによっては、クーラーなしでは暑くていられないという弊害が起こっているのも事実です。 つまり、住宅の性能の良し悪しを問う以前に、何の知識も持たず、その流行の工法に飛びつき、結果として一番大事な住み心地という部分を、実は犠牲にしてきてしまったという例も少なくないのです。

高断熱・高気密住宅の良し悪しは、私たち住宅の供給者側にとっても、常に激しい議論がなされています。かくいう私も、今までの単なる高気密住宅の否定者側であります。

それはなぜか?

やはり、木造住宅というものを、丈夫で長持ちさせるためには、構造体を常に風に当ててやらねば、決して長持ちする家は造れないという恐れがあり、構造体を密閉してしまい、空気の流れを止めてしまうような従来の単なる高気密住宅は、結露による木材腐朽という面で耐久性に心配が残り、住み心地を求めるより先に、短命であってはならないとの思いからです。

私が造りたい家というのは、地震や火災など災害に負けない「強い家」、見せかけのデザインや豪華な設備にごまかされない、構造や材質、断熱・結露など表面的には見えないが、木造住宅にとって致命的な欠点に妥協しない「丈夫で長持ちする家」、そして、冬暖かく夏爽やかな、「住み心地の良い家」、自然の力を肌で、五感で感じるような「体温のような温もり感をもった家」なのです。

住宅の進化がさらなる省エネルギー化へ、高断熱・高気密化へと向かっている理由は、CO2削減による地球温暖化の防止という国際レベルの問題であり、それに伴って公的融資に国を挙げて優遇措置をはかるなど、無視することのできない問題となり、今年度の次世代省エネ基準にいたっては遂に気密化が必須となってしまいました。 この次世代省エネ基準とは、氷点下まで気温が下がることが珍しくない、去年まで寒冷地方で適用されていた基準が、今年からいきなり千葉に適用されるというようなものです。

このような背景を受け、様々な工夫、工法を求め全国を見聞し、数多くある手法を第三者の目で技術的に検討した結果、現時点で私が求めるこれからの家造りの性能にもっとも理にかなっていたのが、ソーラーサーキットであり、ダイライトでした。 国の求める次世代省エネ基準を最低の基準とし、より快適な住み心地を求めるが為の「ソーラーサーキット」、より快適な強い家を求めるが為の「ダイライト」なのです。

ソーラーサーキットのシステムは私の心配事を見事に吹き飛ばしてくれました。というのは、前述の理由から、私は単なる高気密住宅の否定者側であったのですが、このシステムは、私が高気密住宅を造らないという理由を見事にクリアして、住宅の高断熱化・高気密化を「外断熱・二重通気」により実現していたからです。

これはどういうことかというと、単なる従来の高気密・高断熱住宅がダメだといっていたのは、内断熱工法であったが故です。内断熱工法による高気密住宅はあまりに断熱欠損が生じやすく、精度の良い気密化を実現するには、ビニールハウス化としなければ無理なこと、これは諸刃の刃となり住宅の寿命に直接関わってきます。高気密住宅にするならば、内断熱ではなく外断熱の方がより安全で、長持ちする家であるということです。
また、高気密住宅にするもしないも、季節にあわせて自己選択ができるということもその利点です。冬の寒い日は、あたかも昔の民家が窓をピタッと閉め切り、部屋を暖めて過ごすように、高気密・高断熱の閉鎖型住宅にして暖かく過ごし、夏は上着を脱ぐように、自然に恵まれた昔の民家のような開放的な風通しの良い暮らしが実現でき、冬は暖かいが夏は暑くてしょうがないというような心配事が少ないのです。

それでいて、壁の内側と外側にそれぞれ独立した通気層があるので、家を支える柱や梁といった構造材は、絶えず自然の風にふれていることができるのです。つまり、家の中で「木」は、自然の風に当たったまま生きてゆくことができるので、家が長持ちするわけです。外断熱工法であるため、壁内結露の心配も不要です。

しかし、もちろん良いことばかりではありません。高気密・高断熱住宅という家は、今までにない快適な住み心地と引き換えに、その家を維持するための住まい方が違いますし、その快適性能を十分に引き出すためにはプラン上のある程度の制約もあります。

外断熱であるが為に、外壁材に重いタイルなどの仕上げ材は選択するのは無理があります。高気密であるが為に、一番身近な暖房器具であるストーブや石油ファンヒーターは使うことはできません。輻射熱暖房が最も相性が良いようです。もっとも、ソーラーサーキットの家は、家中が殆ど室温に差がなく、一台の暖房器具で十分暖まりますので心配は無用です。しかも、床・壁・天井・床下・小屋裏までもが殆ど温度差がありませんのでのぼせません。

些細なことですが、洗濯物を家の中に干すことは好ましくありません。24時間セントラル換気システムも付けなければいけません。もちろん運転停止は出来ません。その家に住み続ける限り、将来ずっと動き続けなければならないのです。気密と換気はワンセットです。これが分からない技術者は犯罪者になりかねません。また、家の寿命と換気システムの機械的寿命は一致しません。メンテナンスも必要です。室内外の防音性能はこの上なく優れています。が、建物内での防音性能はどうかというと、気密住宅でない従来の家よりも良く響きます。価格も割高です。家が長持ちすることを考えれば、長い目で見れば結局お得なのですが、初期投資が必要です。

しかし、このソーラーサーキットの家は、このようなことを差し引いても、手に入れるだけの価値ある快適な「住み心地」が確かにあります。

ダイライトは、木造軸組工法の枠の中でより強い家を求めた場合、筋違いや床組による強度アップはすでに出尽くし、耐力面材というものにたどり着きます。今までの耐力面材というものは、針葉樹系構造用合板が一般的ですが、これには大きな欠点があります。

それは透湿性がないということ。水分に、結露に弱いということなのです。湿気に弱く、数年すると無惨な姿になってしまうのです。この点、ダイライトは、透湿性に優れているため、断熱材の裏側に結露した水分を、外壁内の通気層を通じて外部へ排出することが可能なのです。また、無機質であるため、経年変化による劣化、腐朽にも強い材料です。

ここで、誤解が生じないように壁内結露についてもう一度ふれますが、室内側に適切な防湿工事を施した内断熱でも、壁の外側に断熱材を施工した外断熱も、室内の水分をシャットアウトして、その水分を壁内に入れないということはできても、室内外の温度差は確かに生じますので、どんな断熱材、断熱施工であっても、その断熱材の外気側に結露は生じてしまうのです。

その水分を外部へ排出するために外壁内通気工法という方法がとられているわけです。内断熱よりも外断熱の方が優れているというのは、この外気側に結露した水分が、外断熱の場合は構造材の外側になるので、その水分が構造材に悪さをしないということなのです。 ですから、やはり耐力面材を貼る場合でも、本当に重視しなくてはならないことは、その強さとともに、透湿性という水分を排出できる性能なのです。

ここ数年の住宅の進化は、すさまじいスピードで進んでいます。このように、良い家を欲しいと思ったら、数多くの選択肢があるわけですが、限りなく良いものを求めていったらきりがないというのも事実です。もちろん行き着くところはあるのですが、どこに行き着くかは個人の求めるものによって大きく異なってきます。

「良い家を求める人と、良い家を造りたい」というのが理想です。

しかし、高気密住宅が好きな人もいるし、嫌いな人もいる。痩せや狂いの心配がない接着剤で板を貼り合わせた集成材を良いと思う人もいれば、割れようが暴れようが一本物のムクの木が好きだという人がいる。また、初めて家を持つ小さなお子様のいらしゃる若いご夫婦や、老後を良い家に住んで暮らしたいと思う人まで様々な価値観、条件、趣向や予算や、その土地の立地条件、気候・風土などを無視できません。

ですから、いろいろなことを私とともに勉強していただき、良いことも悪いことも知っていただいた上で、お互いが納得のできる家造りができたらと思います。

これからの家造りを望む人は、イメージや先入観、オマケにつられるような愚かな間違いをしてはいけません。いわゆる営業マンは現場で起こっている事実を知らされていません。知ってしまったら売れなくなってしまいます。豪華なカタログには、売り手側の事情が隠されています。一見良く出来ているように見える展示場にあるのは、その家を良く見せようとする様々な仕掛けと、巧みな営業トークです。 このようなことが「いい家が欲しい」いう本に書かれていますが、大げさに書かれているものではありません。
かくいう私も住宅の営業マンをしていたことがあります。物の原価というものを知らされていません。会社から渡されるカタログ以外のものを見る機会はあまりありません。契約した後は工事部門に引継ぎ、お客様と顔を合わせることはパタッとなくなります。オマケに営業と工事が仲が良いとは限りません。同じ会社の中にありながら、営業はお客様の顔色を見て、工事は会社の顔色を見ます。こんな事が当たり前という雰囲気はあまりいいことではないように思えます。今は大分その仕組みが変わってきたと思いますが・・・。

あるお客様にこのような話をしたところ、ヤクザな世界ですね。と言われたことがあります。その通りかもしれません。無知なことを良いことに、良心的な顔をして、都合の良いことを並べ連ね、都合の悪いことに口を閉ざし、ごまかしの家づくりがされていることが少なくないのです。

本当にいい家が欲しいなら、しっかりとしたポリシーを持ち、それを仕事に反映させ、木造住宅の最大の欠点である断熱と結露、気密、換気の問題に適切な知識を持ち、答えられるビルダーを選択されることです。

しっかりと現実を見据え、科学し、クロス一辺倒でトータルコーディネートされた「つまらない家」でなく、地元の材をしっかり使い、自然の素材をしっかり使い、木っ端を接着剤で固めた、欠点の少ない、いわゆる面白くない優等生のような集成材でなく、やんちゃ坊主のような、元気で味のある、一本物の、一枚物の本物の「ムクの木」の持つ体温のような温もり感に、存在感に包まれるような家が欲しいと思いませんか?会社案内のコーナーのタイトル「木と共に生きる」とは、そういう感覚を私が持っているということです。

私は、家を「商品」とは思っていません。私は、家はそこに住む人の個性の表れであり、家を持つということは、その地に根をはるという、社会的に認められるということであり、家というのは、その地域性などを考慮しながら、住んでナンボのものと考えます。

家は幸せを育むものであり、家づくりは幸せな家族づくりでもあると思うのです。

当社はエリア拡大を求めません。数を求めません。求めるのは質の高さです。オンリーワンのこだわりです。「拝啓、社長様」の声が、朝でも夜でも直接届く安心感を求めます。自らの信用をかけて一生懸命勉強し、「幸せを育む家」を創っています。 是非ご検討下さいませ。

本物の「木」の良さを最大限に引き出した 「杉の家 オリジナル」

高耐震工法の 「杉の家 ダイライト」

外断熱・二重通気の高気密・高断熱で季節ごとに衣替えする家の 「杉の家 ソーラーサーキット」


Vol7.私の心を冷めさせた一言~ある一通の手紙~

あなたの心を決めた一言として寄せられた実際の手紙の中から、一通紹介します。
私もご多分に漏れず、メーカーと言われる所にアプローチをしました。普通に住宅展示場に出展しているようなところには、ほとんど話をしました。中には、結構魅力的な要素や営業マンもいて心惹かれることも多々ありました。そんな中で、なぜ全てを断ったのか。確かに、より良い所が見つかったと言うのが一番大きな理由なのですが、それ以外にも今から思えば思い当たるところがありました。

彼らの中で共通しているのが、自社の家を表現するときにほぼ必ず「当社の商品は」と言う表現を使い、広告などでも「新商品」という表現を見かけます。設計や企画をした人は別でしょうが、そこの会社の大部分の人は家を商品としてしか認識していないということなのでしょう。

商品と言われると、車や家電と同じ認識なのかと言いたくなりマス。果たしてそれで本当に気持ちの入った家造りができるのか、そういう疑念が生まれてしまいます。せめて、商品と言うからには、車や家電並にシステマチックに工事が進むのならいいですが、現場は人の経験や感情に頼ったままで、品質に大きなバラツキが存在しています。そんな中途半端な状況では商品とも呼べず、商品と呼ばれるような家は嫌だという思いになってしまいます。

こういう風に書くとユニット形のメーカーさんから、工場化率も高くそういった懸念はきわめて低いと言う反論を頂きそうですが、私もそういう風に期待するところはありました。しかし、私は自分の見たものから判断してそういう風には思えませんでした。

私自身、実際に組み立て工場に見学に行きました。確かにそこではベルトコンベア-に乗ったユニットが整然と移動していて、各ポイント決まった組立作業が多くのは機械化されて行われていました。そう、あたかも自動車などの組み立てラインを見ているようでした。

と、ここまでなら良いのですが、私が見ていた短い時間の間に何度も警告のブザーが鳴っていましたし、ライン間違い(違う家のユニットが別の家のラインの途中に紛れ込む)もいくつもありました。また、全てが機会ではなくやはり形が多岐にわたるので結構な部分で人の手が入ります。そうなると、ベルトコンベア-で次々と流れてきますから、まさしくマシンと化して作業を進めることになりますから思い入れなんて入り込む余地は感じられませんでした。

そして、作業そのものも、例えばタッカーを打つにしても横目で見ながらという感じでした。

そして、何よりも私を不安にさせたのは自分の知らないうちに大部分が完成されてくる(見えなくなる)というところでした。全てが問題なく進んでいれば雨にも濡れませんし良いことなのですが、これだけ警告ブザーが頻発して、作業風景を見れば不安になってしまいます。下地仕上げ、断熱材の詰め込みなどや、私の言った時に作業中に端が欠けてしまった外壁材を一生懸命補修していました。

こんなのを見ると他でもどんな状態になっているか不安になってしまいます。そんなことで、工場化率が高いというのは一概に良いことばかりではないという結論に達しました。

余談ですがこのメーカーさんでもう一つの疑問は、これだけ機械化されて画一化されているのにどうして他のメーカーと価格がそれほど変わらないのかというのもありました。他メーカーよりも設備が良いという説明もありましたが、私の感覚ではそれほどの差は認識できませんでした。

コストの点で言えば、先のユニット系の話もありますが、メーカーさん全体としてどれだけの費用が家に回るんだろうかという不安もありました。

GWやお正月(それ以外でも大抵)に展示場に行くと結構な粗品を貰えたりします。そして、いつもたくさんの営業さんが常駐していますし、カタログ類も非常に立派なもので、コマーシャルなどの広告も大々的です。さらに、地盤調査その他もキャンペーンと称して無料だったりします。また、展示場とは別に大規模なショールームを持っているところもあります。その他にも無料で提供されるものが多数あります。展示場も年間1億以上の維持費が必要なこともざらだと聞きます。一体こういう費用はどこから出ているのでしょうか。

当然、契約した人たちの支払ったお金から出ているはずです。スケールメリットでコストダウンができるといってもこれら全てを賄えるほどにはならないと思います。それでも、内容と金額を客観的に比較して満足のいくものであればそれでよいという考え方もありますが、私のように強欲な人間は、それだったらそういうコストのかからない他に頼めば金額を下げたり、よりグレードアップできるはずだと思ってしまいます。やはり、この点も私の気持ちが離れていった要因の一つではあります。

ただ、大手ということによって生じる(漠然とした)安心感とかも一つの価値ではあるので、そういったことも総合的に判断してその人が満足することができればメーカーの家はだめとかそういうことでないと思います。

私も、最初はそういう点に魅力を感じてメーカーという選択肢を検討しました。しかし、人の気持ちというのはどんどん変化していきます。そんな中で私の場合は、少々のリスクや時間と手間を背負ってでも、より安く、より良い家を、細部にまでこだわって手に入れたかったのでメーカーという選択肢が最終的に除外されたということになります。


Vol8.こんな時代だからこそ・・・・。

平成15年12月

今年もたくさんのお客様に支えられ、無事年を越すことが出来そうです。ご愛顧いただきましたお客様には深く感謝申し上げます。当社も親会社である「桶市 小長谷材木店」より建築・不動産部門として独立して早8年が経ちました。その間、この住宅業界については度重なる法改正はもちろんのこと、世間の常識や住宅の基本性能、業者のモラル等、さまざまな価値観がめまぐるしく変ってきた期間でもありました。
当初私が材木店という枠からはみ出して自ら住宅建築を営業し、設計し、施工するという側についたきっかけはいろいろとありましたが、当時私が家を建てようと思ったときに近くの地元の業者さんで、どこに仕事を頼もうかと客観的に考えたとき、なんとなく顔の見える業者さんがいなかったこと、また、バリアフリー・高断熱などの当時見え始めた住宅のつくりに対応できる業者さんがいるか?という疑問・心配が感じられました。

もちろん探せばいたのでしょうが、当時は地元の造り手については縁故関係や知り合いの紹介でもない限り気軽に相談にのって頂く事は大それたことでしたし、チラシを入れる地元の業者さんもなければ、現在はあたり前に使っているインターネットという媒体もありませんでした。

それに対し、ハウスメーカーの家は仕上がりはトータルコーディネートされた綺麗な仕上がりでカタログ性能も抜群で、信用度も申し分ない、なおかつ、全く他人の自分が行ってもちゃんと話を聞いてくれそうだし、住宅展示場に行けば向こうからお伺いに来てくれる、図面も見積もりもサッと無料でやってくれる、こんなに敷居の低い、とっつきやすそうな業者があればそちらに行きたくなるのも当然。
これが普通の人が家を建てようと思ったときに誰もが思った気持ちだったのではないでしょうか?

実は私は某有名ハウスメーカーの家を営業していた経験があります。確かに営業のマニュアル、システム、営業ツール等しっかりしています。しかし、そこには家を「売る」という、いわば商品としての「家」があり、家を「建てる」という価値観は感じられませんでした。また、現場で実際に起こっている様々な問題や、追加工事が発生した際の見積が適正かどうか、全く知らされていませんでした。自分で家業である材木店の仕事につき、しばらく家が注文されて建って行く過程を見据えていて、住宅メーカーの常識と、なんともいえないギャップを強く感じずにはいられませんでした。

家というものは、私が思うに商品ではないと思うのです。家を売るという感覚で住宅の仕事をしている人も数多く、自分も住宅メーカーの営業をしていた頃に大変矛盾を感じていたことが多かったのです。自分の実家が材木屋ということもあり、木造建築というものは比較的近いものに感じていたのですが、私が家に帰ってきて、工務店や建設会社、メーカーに営業を始めたとき、時はバブルで、誰も家の本質や、構造などにこだわる者はなく、私がこれからはこういう時代になる、もっと勉強して良い家を造って欲しいと言っても、聞いてもらえる造り手は少なく、今では当たり前のバリアフリーや高断熱という時代の要求にさえも見向きもされませんでした。

殆どの造り手が、「構造や材料などお客様にはわかるまい、そんなものに金を使うなら豪華なキッチンや風呂にテレビでもつけてやった方がずっと喜ぶ」と言い返されてしまう時代があったのです。今のローコスト系メーカー住宅と同じです。

バリアフリーや高耐久、高断熱、高気密等、それがもうセールストークにならないので、今度はオマケに頼る。エアコンをつけます、カーテンをつけます、はたまたテレビやプレステやビデオまで・・。そんな家を建てる人は、家が欲しいのか、オマケが欲しいのか?自分には見当もつきません。そんなサービス?でお客様をつり、家を売るならば、家こそがオマケなのでしょう。

家は建てて終わりではありません。むしろ建ってからが本当の意味での力の発揮どころなのです。ここ数年台風・強風による被害も多く出ています。その時にどういう対応が出来るか?困っているお施主様をどうやっていち早く助けることが出来るか、幸い当社の協力業者の皆さんは気持ちもよく、今までは考えられなかったような雨樋の清掃、電球の交換など細かなことまで対応してくれています。しかも何処よりも早く丁寧に。皆地元の職人さんたちです。感謝、感謝です。

ハウスメーカーのように敷居が低く、設計や見積も気軽に相談できる、頼める、そしてどんな間取りでもデザインでも細かな注文に応じられる、格好良い家が創れる、基本的な家の構造も性能もはるかに凌ぐ、こんな造り手がすぐ近くにいたら、気軽に相談できそうだったら、チョッと話しくらい聞いてもいかな?と思う人は多いと思います。地元にそういうお店がないのならば、自分がやろう、それが桶市ハウジングの成り立ちです。大きなエリアでは無理ですが、少なくても佐原市近郊については、広く一般に純粋に良い家を供給できる造り手は必要で、ないならば自分がなろうと思っただけなのです。

おかげさまで、最初の頃は見えない部分にお金をかける家造りは、同業者にバカにされました。儲からないだろうと。しかし、現在佐原市ではずいぶん仕事をさせていただきました。今の時代の家作りは既に基礎の構造がどうとか、木材の性質がどうとか、そういうことは良くてあたり前です。私のつくる家は、チョッといい家です。

何が良いかというと、たくさんあります。いろいろな工法も特許技術も持っています。しかし、本質は木造住宅というものは木が良くなくてはいけない、あたり前のことですが出来ていないのが多いのが今の流通システムなのです。ファックス1枚で木材が発注され、上棟の日に初めてその家の材料にお目にかかる。これが今主流のプレカット加工の木材流通なのです。そこに木に対するこだわりや良い材料を吟味しようとする意思が見受けられるはずがありません。

当社は柱材に自然乾燥材を使用します。全てムク材の年配のいった良材です。集成材は使いません。嫌いだから。1年に使う見込みの柱材を予め寒中にそろえて天日干しし出荷を待ちます。その日がきたら1本1本その柱が家のどこに使われるのが適当か手間をかけて吟味します。昔はみんなやっていたことなんですが・・・。

現在私が目指している家作りの本質は、やはり昔と変らず「丈夫で長持ち、住んでよい家、あきない家」です。一言で言うと簡単ですが、それに対する取り組みのレベルが違っています。ベタ基礎、オール4寸土台・4寸柱、バリアフリー、高気密高断熱、24時間換気・・・、そんなことではありません。住宅に求める性能、それは住んで体に優しいこと、体が楽な家を創りたい、また、今の住宅の最大の弱点である結露について徹底的に解決したい、これが大きな課題でした。幸い、様々な試行錯誤の結果、このような全ての条件をクリアーした家作りをすることが近年実現しています。

家を建てようと思うとき、あなたは何を求めますか?新しければ良いですか?綺麗ならば良いですか?安ければ良いですか?

こんな時代だからこそ、一生に一度の、又は最後の家作りに、最高の住み心地を求めてみませんか?家中の温度差が少なく、アレルギーにも強い自然素材をたっぷり使い、夏は爽やかで、冬は暖かで・・・。視覚的にも専属デザイナーと組んだ家作りも試みており、和風モダンを基調とした癒しの空間作りに力を注いでおります。

現在数多くのOB施主様より、「この家にして良かった」というお言葉を頂いております。何が良かったか?その辺は分かりませんが、とにかく「体が楽、空気がきれい」なんだそうです。私は現在そんな家を作っています。

最近「感動」したことがありますか?

人は、自分の想像を超えたものを見たり聞いたりすると、身がすくんで言葉が出なくなってしまいます。時には涙を流してしまう事だって・・・。ものを創る側にいる人間は、いつもそんなものを創りたいと腕を磨いてチャンスを待っています。

私は「家」を創っています。そして住む人が「感動」するような家を創りたいといつも思っています。住む人の喜ぶ顔が見たいから、「この家にして良かった」その言葉がうれしいから・・・。

どうぞ、今家作りをお考えのお客様、一度私と会って話してみませんか?私は良い事も悪いことも知っている範囲で全て正直にお答えいたします。全て完璧で良いものはありません。本当に安くて良いものもありません。でも、きっと自分で納得できるものがあるはずです。漠然と家作りを進めるのではなく、納得の行くまで話し合い、疑問を持って「一生に一度の、最後の大仕事」をしてみませんか?小手先のイメージやデザインに惑わされることのないよう、自分をしっかり持って個性豊かな自分だけのオリジナルの家作りをしてみませんか?10年先、20年先を見据えた家作りをご提案させていただきます。

「生涯設計・良家主義」当社の家作りのモットーです。見積・設計・相談すべて無料、土地の購入から住宅ローンの手続きまで全てお任せ下さい。お電話1本即参上、メールによる相談もお気軽にどうぞ。来年もよろしくお願いします。

有限会社 桶市ハウジング
代表取締役 小長谷 直弘


Vol.9 外断熱ってどんな家? 2004年4月27日

※本文は2004年4月27日に書かれた文章です。現在の住宅業界の様子、当社の家づくり等について、下記に書かれている内容に対して当時と今では意に反し意図していない部分もございますので予めご了承下さい。 2007年10月18日追記

普通の家とどこが違う?

最近お客様よりご質問を受けることが特に多いのが「外断熱って普通の家とどう違うの?」という質問です。数年ほど前は今のように「外断熱」という言葉も出てこなかった時代ですから、ここ最近の事であることは間違いないのですが、当社では外断熱住宅に取り組み始めて今年で約4年目になります。

先日、当社で外断熱・二重通気工法のソーラーサーキットの家を施工中のあるお客様からこんなことを言われました。「約2年程前、家を建てようといろいろな情報を集めて住宅展示場や近くのモデルハウス、工務店に相談にいって外断熱の家をどう思うか?と質問したところ、外断熱という住宅を知っている人が半分、知らない人が半分、知っていてもそんなものこの辺では必要ないです、普通の内断熱の家で十分ですよ、うちはやっていません。」というビルダーばかりだったそうです。

ところが、それから2年が過ぎ、当時そのようなことを言っていたビルダーのほとんど全てが現在外断熱住宅を施工しているのだという。どう思いますか?と聞かれました。

内断熱と外断熱の違い

まず、内断熱工法と外断熱工法の違いですが、まず第一に断熱材の入る場所が違います。 内断熱は構造材となる壁の中に断熱材を入れますが、外断熱は構造材の外側、つまり柱・壁の外側に断熱材を張ります。これによって何が違うかというと、結露の発生する場所が異なります。断熱材を入れる以上、どんな断熱材でも結露がどこかに生じます。

家の中と外に温度差ができるので、その温度差ができるところに結露が生じるのです。内断熱の場合その結露が断熱材のある壁の中に生じるので、所謂壁内結露という目に見えない結露が壁の中で発生していて、それがカビや腐朽の原因となるというのです。

外断熱でも結露する

外断熱の場合は、これも断熱材ですから結露はするのですが、発生する場所が構造体である壁の外側にするので、家の主要構造部である柱・壁・土台とは全く接しない場所での結露発生となります。これはつまり外壁材のすぐ裏側であり、外壁通気構造により常に風が通っているところでの結露ですから簡単に乾いてしまうことは言うまでもありません。また、板状の外断熱材は吸水性がゼロですから断熱材そのものが水分を持つこともありません。したがって、内断熱と外断熱の違いは、壁の中の結露が家の耐久性やカビなどが原因のアトピーやアレルギーに悩まされるリスクが低いという点で違いがあります。

気密の安全性

第二に、気密をとる上での安全性が違います。冬暖かくするために高断熱という言葉が言われますが、気密と断熱は異なるもので、どちらを優先すればより暖かく快適に過ごすことができると思いますか?実は優先すべきは断熱ではなく気密のほうを優先したほうが熱のロスが少なく暖かく過ごすことができます。

どんなに高性能な断熱材を使用しても隙間から逃げてしまうロスがあれば、その断熱材は意味がありません。高性能な断熱材と気密が二つ合わさって初めて快適な暖かい家が出来上がります。
高性能な断熱材はお金を払えば誰でも購入できますが、気密をとるにはそれなりの技術が必要です。

外断熱工法は気密をとるという上で、建物の外側からスッポリくるむように断熱材を張ってゆきますので比較的簡単に気密をとることができます。内断熱になると内壁の中でビニールのような気密シートを張って気密をとるのですが、水道工事や電気工事などで穴をあけられて、それをまた塞いでというような作業を何十回となく繰り返します。

まるでビニールハウスの中にいるような光景が目に浮かぶでしょうか?外張りの板状断熱材はその形状ゆえに目で見てはっきりと隙間が出来ているところが見えるので、補修も簡単でより安全に確実に気密工事をすることができます。これが気密をとる上での外断熱工法の優位性です。

熱のロスが少ない

第三に、外断熱は内断熱に比べ断熱の欠損がありません。

どういうことかというと、外断熱は建物の外側からスッポリとくるむように断熱材を張りますが、内断熱では壁の中に断熱材をいれますので、その入れ方が柱や間柱の間に挟むように入れる形となるのです。

これはつまり、柱や間柱の部分は断熱材に保護されていないのでその部分は断熱が効いていないということになります。木材そのものもある程度の断熱性を持っているとは認められていますが、断熱材ほどではありません。これが断熱欠損といいます。

建物の外側から断熱材を張られた外断熱工法では、内断熱では断熱不可能な柱や間柱といった部分も合わせて断熱空間に取り入れることが可能なのです。よって熱のロスが少ないということになります。以上が内断熱と外断熱工法の構造上の違いです。

さらに、「ただ単に外側に張っただけ」の単純外断熱工法と、ソーラーサーキット工法でいう二重通気構造を持った外断熱工法との違いですが、これは内壁の中の通気があるかないかの差になります。

外断熱・二重通気工法のソーラーサーキットの家の生まれた経緯

外断熱・二重通気工法のソーラーサーキットの家、実はソーラーサーキットの家も今の構造を確立する前、前進は構造躯体内に二重の通気層のない単純外断熱の家から始まりました。現在多くの他社が手がける一般の外張り断熱というものです。

実はSCの家の開発メーカーであるカネカでは外断熱ブーム全盛の今から約二十年前、昭和五十八年に既に外断熱工法を開発、実際の住み心地に関する数年の実験成果を経て、四季のある日本では北海道より南では、つまり日本の温暖とも言える殆どの地方においては普通一般の単純外断熱工法はダメだったという結論を得ます。

ダメだったという理由は主に夏の住み心地において、自然にあまりに逆らった住み心地であるという結果がわかってしまったのです。つまり、冬に重きをおきすぎた家作りは、夏の暑さを乗り切るためにエアコン無しでは生活できない家というものをつくってしまうことになったのです。

そこで、新たにカネカが開発したのが、冬は外断熱で高気密高断熱の暖かい家、夏は暑くてエアコンなしではいられないような高気密住宅ではなく、家の中のこもってしまう熱を排出するために昔の民家のように建物の構造体の中にまでも風を通し、高気密ではない昔の夏涼しいことに重きをおいた二重通気という構造をつくりました。今から約十六年前、昭和六十四年のことです。

外断熱だから良いのか!?ソーラーサーキットの類似品にご注意下さい!

現在外断熱ブームともいえる中、外断熱であれば何でも良いと思ってしまうようなお客様が多いです。また外断熱であれば何でもかんでもいいというような営業をしている会社も多くあります。

でも実際に外断熱の家に住んだことのある人が家を売っているのでしょうか?否、殆ど会社から渡された、教えられたマニュアルどおりの受け売りの言葉に過ぎないと思います。

基礎から屋根までスッポリと包むから外断熱特有のじんわりとした熱量豊かな空間が出来るのです。構造躯体を貫通することなく断熱空間として捉えられるから家中の温度差を少なくし、結露をなくし快適な耐久性の高い家作りが出来るのです。当社に紆余曲折して結局最後にたどり着くお客様は既に知っています。何を持って「完全な」外断熱の家なのかを。

建てる前に住んで確かめて、見て確かめて、もっと賢くなってください。そのための「家」と「本」をご用意しています。

外断熱・二重通気工法のソーラーサーキットの家の住み心地 OBお施主様の証言

1. 以前の家は冬はとにかく寒かった。真冬は室温2度・3度はあたり前。家の中で吐く息が白く、ファンヒーターなど暖房を入れてもなかなか暖まらなかったが、寒いかな?と室温計を見ても20度はキープ。余裕で空気の入れ替えで窓が開けられる。

2. 前の家は10月のお祭りが終わる頃には寒くて布団は3枚、さらに子供はパジャマの上に防寒着。もうファンヒーターを始めていましたが、11月に入っても家の中は日中天気なら暑くさえ感じ、靴下をはかずに過ごせる。日中は半袖でもいられます。まだ一度も暖房をやっていない。

3. 以前は家の中でも長袖下着・Tシャツ・トレーナー、寒いときはベストも着るなど厚着だった。コタツからなかなか出られない。また、寝相が良くなるほど寒く、子供なのに布団にくるまって寝ていた。結露がひどく窓はビショ濡れでカーテンはカビだらけ。真冬は狭い空間でファンヒーターをがんがん炊く。空気が悪くて換気したくても寒くて窓が開けられなかったが、ソーラーサーキットの家に住むようになり、子供が薄着になった。ちょっと動くと汗をかくほど暖かい。窓を開けても平気。心地よい。子供が布団を蹴るようになり、寝相が悪くなったが、布団なんてかけなくてもきちんと着ていれば体は冷たくなりません。本来の子供の姿です。11月下旬の現在、薄い綿毛布一枚で過ごせます。寒くないので窓を開けて換気が出来る。空気がいい。家の中と外の温度差が分かります。

4. 子供たちの健康状態を見ていて体力がついてきたこともあるのだろうが、でも以前の家と比べて空気が良くなったことは間違いない。下の子は昔の家に住んでいたのは11ヶ月から1歳4ヶ月の約半年。この間何回医者へ行っただろうか。風邪は寒いからひくとは限らず、原因を考えてみたが、やはり厚着をさせて体温調整が出来なかったこと、空気の汚れが大きいと思う。挙句の果ては喘息の疑い・・。すごく心配だったがソーラーサーキットの家に引っ越してからは風邪をひくことはほとんどなくなった。新しい家で迎えた10月~3月の間はほとんど医者に行っていない。3回目の冬を向かえ、最初かなりコストの高い家だったので躊躇していましたが、一生に一度の家なので建ててよかったと思います。体が楽です。この家で建てなかったら後悔していたかも・・。

5. 食事をするのにも他の場所でするよりもSCの家で食事したほうがおいしい。空気がきれいなのがわかります。都会の雑踏の中の空気と、森林の中の空気、そういった感じがわかります。

6. 換気は人のために、通気は家のためにというのがSCの本当の良さではないでしょうか?やはり建物に通気性を持たせるということで、より耐久性の良い構造がつくれると思うのです。

7. 違いは夏。想像してください。夏場の暑い日中に炎天下の駐車場に半日くらい窓を閉め切ってとめた車に入るときの暑さを。これが単純外断熱の家です。それに対し、SCの家は炎天下の駐車場に同じように車を止めていても、窓を開けて止めている状態。つまり通気をしている状態です。決して涼しいとは言えないと思いますが、窓を閉め切った状態の車と、窓を開け放していた車と、どちらが良いですか?窓を開けた車がSCの外断熱構造です。

8. 現在の住み心地は快適です。最近、オイルヒーターを購入しました。デロンギ 071221TEC(3~8畳用)500/700/1200w切替ですが、全館暖かくなります。欧米では、外断熱に小さな火を24時間点灯して暖房を取っているとの情報から試してみましたが、効果は予想以上でした。500wか700Wで継続的に使用(深夜3時間は消灯)し、補助としてエアコン、コタツ、等を使用することがありますが、オイルヒーターのみでも健康な人であれば冬を感じないような全館暖房と同じ効果を得ることができます。でも一旦、外に出ると車はガリガリ凍っております。また、結露はしません。これは健康的に暮らすことが出来る証です。細菌繁殖しないからです。外断熱材の効果を感じます。今まで感じていた冬と違う冬を全身で体験しています。これは不思議な感覚です。

9. 現在2月9日、PM8:00 1F20℃ 湿度46% 2F21℃です。一日を通して3から4℃の温度変化しかありません。驚きです。この性能だと、オイルヒーター一台で冬を越せることが可能と思いますが、日常の習慣となっているコタツ、エアコンをどうしても使用したくなるのが人情です。そのため、結果として電気代はかさんでしまうのが現状と思います。現在の感想からは、オイルヒーターは一番のお勧めです。自然な温かさがあります。昔住んでいた旧家は、温度が2度まで下がったのを考えるとやはり温熱の保温効果は大きいと思います。

10. そろそろ春の気配がしておりますので、SC住宅の一回目の冬が過ぎ去ろうとしております。長男の高校生がふと漏らした、「今年の冬は暖かい冬だったね」という言葉に表れていると思います。正確には暖冬ではなく家が暖かだったのですが。温度変化はとにかく少ないと思います。最低気温17~18℃前後、日中は21℃程度でした。住みごこちは、強い印象があるのではなく、ふと暖かさを感じることがSCの特徴と思っています。

11. ちょっと不思議なことがありました。蚊が家にいないのです。旧家にいたころ、どこからともなく必ず家に入り電子蚊取機が各部屋の必需品だったのですが、、、、蚊が周りからいなくなったとは考えにくいので、やはり、ソーラーサーキットの高気密状態が功を奏しているのではと考えています。今夏は全く蚊取り用機器は使用しておりません。

12. 冬の旧家はほっておくと室温1~2度まで下がりましたが、SC住宅はほっておいても17度位で全部屋キープしております。その結果、気がついた事ですが、人の動きが家の中全体に広がり、活動しやすくなりました。旧家では一つの部屋を暖房するのが精いっぱいでしたので、SC住宅による居住性は上がったと思います。

13. 人間の体は、不思議なもので、数値とは、別の感覚を持ってしまうことが多々あります。もっと暖かければいいのに、もっと涼しければいいのにと。欲望にはきりがありませんから。SC住宅に住むと、ふっと心地よさを感じます。これは持続的な感覚ではないのですが確かに感じることができます。その意味で、一生に一度の家を創るなら、SC住宅が現在では最適と思います。数百万円の余計に払う価値は十分にあると思います。ただし、適切な建て方のSC住宅であればの条件付きです。

14. 以前の家は社宅なので住み心地は比べ物になりません。冬は壁にびっしり結露が発生する割りに乾燥で朝起きるとのどが痛かったです。結露のせいで洗面所の壁はいつもカビだらけで、北側の部屋もカビだらけ。桐のたんすの引き出しがゆがんで閉まらなくなるほどでした。現在は快適です。とこんなものですが、妻とも一致した意見です。

15. それにしてもこんなに暖かいとは正直期待していませんでした。朝はもう少し暖かければと思いますがエアコンを入れなければ動けないというほどでもないので、とりあえず及第点というところです。宣伝文句の「冬場でも17℃・・・」とはいきませんが、もともとが朝覚醒したら2℃という家だったので余計感じるのかもしれません。2月21、22日くらいの天気(風も強く窓が開けられなかった)だと日中20℃ですしね。12月19日~1月21日までの電気料金が約25,000円、1月22日~2月20日までの電気料金は約20,000円でした。金額だけ見れば高いようですが多分全体的な光熱費として考えれば安いはずです。さすがに最初は渋っていた父も「やっぱり生活してみると暖かいというか体が楽だ」と言ってます。彼は夜間全く暖房は使っていない模様です。現在のところ私はSC住宅の住み心地に満足しています。

16. ついでですので1件お聞きしたいことがあります。それは、家の光熱費なんです。現在、電気代が約8,000円 灯油が、月100L程度(風呂と、暖房用のファンヒーター2台)あわせると約12,000円程度です。夫婦2人で、昼間は全く無人の我が家ですが、上記の光熱費で特に不自由はありません。(照明はまめに消していますが)これってどんなものなんでしょう? えらい安いような気がしますが。

結論:

外断熱の家は、夏は遮熱効果が高く炎天下の日陰のような涼しさを感じることが出来るが、熱の蒸れを解消するための通気構造を伴わなければサンルームのような蒸れるような暑さを引き起こし、エアコン無しではいられない環境となる恐れあり。
冬は断熱ロスが少なく、暖かい。また壁内結露の問題も解決されている。
しかし、基礎から屋根まで断熱空間として捉える方法で断熱しないと、熱量豊かな空間の創造は難しく、家中を一定の温度に近づけることは難しい。
中途半端な外断熱と高性能な内断熱の家は壁内結露の問題さえクリアできれば住み心地、耐久性共に大差はない。
建物に通気構造を持って始めて快適な外断熱の家が実現する。
また、夏は高気密住宅ではなく、昔の民家のような風通しの良い、なおかつ、遮熱効果の高い構造が望ましい。
冬は高気密住宅で隙間をなくした家のほうが熱のロスが少なく暖かい家が実現できる。
この相反する2つの利点を生かした家こそが外断熱・二重通気工法のソーラーサーキットの家の構造です。


Vol10. 生きている「木の家」

きっかけはお客様の一言でした。
「あなたは何が得意なの?」

時はバブル。材木屋の四代目として家業についた私を待っていたのは中身の伴わない高級住宅の非常識でした。
そこを襲った大地震とバブル崩壊・・・大工や工務店に材料を買ってもらって生きている材木屋の跡取りが、昨日までの糧のお客様と同じ土俵で勝負をかけました。

まるでダメな、無知な家づくりが多すぎる。せめて私の地元の人には、「いい家」に住んでもらいたい。
私に何が出来るか?私はいったい何者か・・・?
「いい家」を建てたくて、十一年前、二十七歳の時に会社を始めました。
良質な生きている木を使った「健康になる家」を造るために。

自然の無垢材は家になっても、家族と共に生きているのです。
私の造る家はたっぷり天然の無垢材を使っています。だから、空気が違います。木の香りがする家です。私は毎日毎日健康になる家ばかりを考え、勉強し、経験を積んできました。それは地元の皆様の元気に少しでもお役に立ちたいからです。

木の家ばかりを考えて、もう十一年になりました。
バカのひとつ覚えのように「木の家」と言っている訳は「生きている家」になるからなんです。
住む人が健康になる。そして、元気になる家になるからなんです。癒しの家です。

この十一年間にたくさんのお客様の家を建てさせて頂きました。本当にうれしく思っております。
そして、私にひとつだけ、自信を持って言える事があります。
当然のことですが、それは、今まで一軒たりとも手を抜いたことがないことです。家に使う木も、ひとつひとつ自分の目で見て納得したものしか使いません。最初から最後まで真剣に作ってきました。
お客様の見えないところで見えない手間をかけています。それこそが「いい家」を作るために必要なことで、実は今の流通システムの中で当たり前でなくなってきてしまったことなのです。
私はもちろん、これからも今までどおり、昔からの教えを守り真剣に作ります。
今月も真剣につくった「生きている木の家」がひとつ完成します。私の家づくりはホームページで詳しくご紹介しています。
和モダンの極み。得意な木の家を今日も一生懸命作っています。
不器用な私ですが、あなた様の家づくりのお役に立てれば幸いです。

有限会社桶市ハウジング 代表取締役 小長谷直弘


Vol11.人生には降りられない舞台がある・・。思いが重なる時。

人生には、一生に一度決断しなければならない時がある。
家族のため、自分のために「いい家が欲しい」と思う時・・・。

「フラガール」という映画の予告編を見て思いが重なりました。
「人生には降りられない舞台がある・・・まちのため、家族のため、友のため、そして自分の人生のために・・・」

成田の住宅展示場に家族と行って、我が子が化学物質過敏症とわかったときに改めて問いかけた自分の存在価値。

女の子ですから、いつかはお嫁に行くでしょう。近くに嫁いでくれれば私が家を建ててあげることも出来る。しかし、そんなに上手い縁があるのだろうか?ずっとずっと遠いところにお嫁に行ってしまうかもしれない。

今の時代、家を建てようとした場合、地元の大工さんや工務店の知り合いが無ければ通常一般的にはチラシを見たりハウスメーカーの住宅展示場に行って、メーカーハウスを建てる人が大多数だろう。それが今の日本の住宅事情の常識となっている。

しかし、私の娘はその常識となっているハウスメーカーの建てる家には住めない。
30分と室内にいられないのだ。
いくら大臣認定の低ホルムFco建材、体に害がありませんと謳っている建材でも、ほんの微量であるが人体に有害な成分を揮発させている。

私の子供達は生まれてから建材でつくられた家に住んだことはない。
床も壁も天井も、およそ家の材料はすべて本物の自然素材と最近もてはやされているもの、つまり、昔からの材料で、つくり方でつくっている。

娘が生まれたときに住んだ家は大正9年に建てられた古い家、リフォームして住んでいた。
新しい家が建ち、その家を出るときにこの娘が書いたのが、私のホームページの「写真で見る杉の家」の12ページ目に隠しアイテムのように掲載している「古い家への手紙」だ。
私が書かせたものではない。6歳の娘がコソコソと引越しの時に一人で書いていたものだ。去るときに神棚に備えてきた。

風が吹くと埃が舞い、冬になると家の中で息が白くなり「ゴジラ」ごっこをし遊んでいた。
コタツに皆でくるまってテレビを見ていた。
よく自分のひざにちょこんと座っていたものだ。
夏になればサッシを全開にして扇風機が大活躍、クーラーもあったが隙間が多いのであまり効かない。庭に大きなビニールのプールを出し、縁側で水遊びする子供達を見ながら良く昼寝をしたものだ。
家内は傍らで自分の背丈よりも大きく育った向日葵の写真をよく撮っていた。
今の時代の当たり前のハウスメーカーの家は、この大正9年に建てられた家よりも私の家族には価値が無い。
どんなに綺麗でも、大きくても、格好良くても・・価値が無いのだ。住めないから・・・。

家を建てるという仕事をしている今の自分がいて、自分の娘に安心して住める家を建てて上げられるか、心配している・・・。
このやり場のない悔しさは、いつまでも忘れることは出来ません。

「人生には降りられない舞台がある・・・」この言葉は、その当時の私の思い、自分にはやらなければならないことがあるという使命感を思い出させました。
たとえそれが時代に、世間に受け入れられなくても、昔のように誰もが健康に暮らせる家づくりを低唱したい。同じような思いの人はきっとたくさんいるはずだと。

しかし、建材で簡単に作られた今の家に比べれば、とても高価な家になるだろう。
所詮、全国展開は無理。私は大きく仕事をする気はない。家族が食べられるだけの仕事があればいいので少ない仕事でも建てたい家を、建てたいと思うお客様のためにつくってゆきたい。

しかし、せめて自分の住むまちの人たちには、家が化学建材や薬品を使わなくても木と自然素材だけで作ることが出来ることを知って欲しい。
誰もが安心して住める健康な家を作りたい。生きている「木の家」を作りたい。
そんな思いの一心でモデルハウス(コンセプトハウス)をつくりました。もう4年前のことです。

新しくて綺麗で格好よく広く安く早く・・それだけの家だったら作りたくない。
集成材、合板&ビニールクロス、新建材、大壁和室標準の家作りは言語道断、私は、耐震性、耐久性、断熱、結露など構造に妥協しない、地元で生まれ育った杉の木をいっぱい使った木の香る家、「自分だけは」「ここだけは」というこだわりを持った家、一生に一度の、又は最後の家だから、長年の夢だった・・そんな思いの詰まった家を作りたいのです。

最近特に多くなってきた「木の家」を宣伝する自然派健康住宅の殆どは安価で粗雑な輸入材の赤松(パイン)材を多用した見た目優先、イメージ優先の木の家ばかり。

木がわかる人には一目瞭然だと思いますが、当社の「木の家」は老舗材木店の暖簾をかけて選び抜いた国産の良材を厳選した本物だけが持つ質感を備えた重量感と存在感のある家です。

細部までこだわりを追求した家づくり。
昔ながらの職人が貴方の家をコツコツと手作りで作り上げます。
自然の木を生かした和風モダンの極み。

引越しが終わって最初の夜、「ああ、やったな。満足のゆく家ができた。俺ってすごい」そんな自分にご褒美が欲しい。家作りってそんなものだと思います。
一度私の作る家を見に来ませんか?
価値観の合う人といい家が作りたいと常々思っています。
本物の木の家が欲しいなら、是非一度当社のモデルハウスをご覧下さい。

有限会社桶市ハウジング 代表取締役 小長谷直弘